私にとって絵の先生は安野光雅さんと岩崎ちひろさんなのです。
中学生の頃には一生懸命に水彩画のお手本にした、ちひろさんの絵も残っていますが。
フレームはもう汚れてたりしますが、飾っています。
・教科書で習いました。
何せ小学校の図画工作の教科書が安野さんが編集された教科書だった。
記憶に残っているのは内容が奇想天外の様な子供心を創造に駆り立てる感じで、缶にアルミ箔のようなものを巻くとそこに絵が現れてくるのにはびっくりした思い出がある。
毎週図画工作の時間が楽しみだった。絵を描く事や工作ががどんどん好きになって行った。
©️安野光雅美術館にて
又国語、道徳の教科書の挿絵にはよく岩崎ちひろさんの絵画が使われていたのも記憶にある。
優しげで子供の表情が良いなって思っていたのだ。内容よりも挿絵に夢中になっていたりした。
図書館で絵本も何冊も借りて読んでいた記憶もある。
と、いう事は水彩画と言うものは安野光雅さんや岩崎ちひろさんの描き方がお手本となっていたという事なのかな。
知らないままに、このお二人は僕にとってのかけがえの無い最初の絵の先生だったのだ。
「教えを請った」とはこの事なのかも知れない。
このことを「私淑」「師叔」ということなのだと知るのはず~っと先の大人になってからのことだったのだ。
©️岩崎ちひろ絵本美術館
そうそう。忘れてはいけない先生は「山下清」さんもである。
授業の切り絵や貼り絵があって、山下さんの作品が教科書に載っていたのも覚えている。
先生が「これを作った人は知的障害者の人です」と言われていたが。子供ながらに驚いた記憶があるのです。(以前UPしました)
母は子供の頃の僕が作ったものは全て保存していてくれて、リボンで閉じてあるのだ。その頃の描いた絵や切り絵などは今でもたまに広げてみる僕の宝物でもある。